着物姿のカリスマM女サオリを虜にする大御所の雅(みやび)な緊縛[指南其の二]

元々は拘束や拷問を目的とする緊縛術だった「古典縛り」

着物古典緊縛
着物古典緊縛

業界トップクラスの百戦錬磨な職業M女でもあるサオリだが、こうも縄の存在を自覚することなく・・・なのに全身を万遍(まんべん)ないバランスで雁字搦(がんじがら)めにされてしまっている、ハイレベルで倒錯的な緊縛を体感するのは初めて経験であった。
胡座のポーズに緊縛された “教え子” サオリの眼前に立つ「美山沈」と名乗る “老人” が、緊縛個人講義を開始する。
「古典縛り──古典緊縛ちゅうのはですね…拘束を目的とした、拷問などに用いられる緊縛術のことです。江戸時代あたりだと、まだ『手錠』なんて便利な物はありませんでしたから… “縄” は罪人を無力化する貴重な拘束器具だったわけですよ」

頸部に絡みつく縄の存在感に悦びをおぼえる真性M女

着物古典緊縛
着物古典緊縛

真性M女であるサオリは、あえて試(こころ)みた “縄抜け” によって、途端に存在感を表(あらわ)す縄が首を絞めつける感覚にぞわっと鳥肌が立つほどの官能をおぼえ、四肢を捩(よじ)らせている・・・。
可動範囲内でもじもじと身悶えするサオリの意図を汲み取り、どこか満足そうな表情を見せる「美山沈」と名乗る “老人” は講義を続ける。
「緊縛のルーツは応仁の乱だとか戦国時代まで遡(さかのぼ)るとも言われておるです。江戸時代になって、各藩ごとに縛りの技法は多種多様なかたちで細分化されていったわけですが、明治維新や太平洋戦争でその文献の大半が失われてしまい、先人の緊縛マニアや我々みたいな好事家(こうずか)が、わずかに残存している資料などを参考として、技に改良を重ねてきたわけですな」

「古典緊縛」と「近代緊縛」の融合こそが理想の緊縛!?

着物古典緊縛
着物古典緊縛

「『古典緊縛』に対して、縛り手と受け手間の合意のもと…主に性的行為のスパイス的な役割として発展したのが、いわゆる『近代緊縛』ってヤツですな。近代緊縛の起源は、日本画家の伊藤晴雨が責め絵を本格的に描き始めた1910年代後半頃だとか…と言われておるですが、まあそこらへんは諸説あるですから、ここらへんで詳細を述べるのはやめておくです。いずれにしろ、僕は『古典緊縛』と『近代緊縛』を融合した “温故知新” ── “レトロモダン” こそが “理想の緊縛” だと考えておるわけですよ」
終わりの見えない講義が、まるで催眠術のように胡座ポーズのサオリの脳へと霧のごとく、じめじめと侵食してくる。もはや正常な思考能力を失いつつあるサオリだったが…「美山沈」と名乗る “老人” の一人称が、「私」から「僕」に変わったという事実だけは、何故(なぜ)かはっきりと判別できた・・・。

延々と続く「緊縛講義」を装った言葉責め

古典緊縛
古典緊縛

「私の『美山沈』という名は…お恥ずかしながら、5〜6世紀頃から東ローマ帝国の勢力下でコンスタンティノーブルを中心に興(おこ)った “ビザンティン美術” からいただいたものであるです。ビザンティン美術ってヤツはですね…ギリシア美術・ヘレニズム美術・ローマ美術…さらにはキリスト教や東方的な要素までを取り込んで発展した混ぜこぜな美術様式なんですが、僕はそのおおらかさが大変好きなのですよ。そうそう。 “物質性” より “精神性” を追求しながらも、煌(きら)びやかな色彩や装飾が目立つところも大好きです……(後略)」
もしかすると…延々と続く長い講義も、「美山沈」と名乗る “老人” の作為による “言葉責め” の一種なのかもしれない。耐え切れずに上半身を “くの字” に曲げてひれ伏すサオリ・・・。だが、そんな “責め苦” が着実に功を奏しているのか、真性M女の股間の濡れは・・・振袖にまで達していた。

最初の着物緊縛指南を終えて…

着物 古民家
着物古民家

「そろそろ、貴女の身体も温(あたた)まってきたみたいですな。では一度、緊縛を解(と)いてみるですかね」
全身に絡(から)みついていた赤縄と着物の帯(おび)から解放されたサオリの口から「ふう〜〜〜〜〜」と、安堵の息が漏れる。同時に “今後” への不安と期待が入り混ざるアンニュイな情欲が押し寄せる──それは真性M女ならではの、逆(さか)らいようがない哀しい “性(さが)” であった・・・。

 

[指南其の三]に続く

 

緊縛師 HIBIKI
モデル あぃ
撮影場所 スタジオ青銅

 


埼玉県行田市真名坂2201-1

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